ふしぎブログ

指圧師・ライター斎藤充博の日記

「地獄の釜の蓋が開いた」

「地獄の釜の蓋が開いた」という比喩表現を見かけることがある。意味としては「これからとんでもなく恐ろしいことが起こる」というところだろうか。地獄の釜の蓋が開いて、これから現世の人間達も地獄に突入という雰囲気なんだろう。

 

ところが、これは僕からするとかなり違和感のある表現だ。

 

「地獄の釜の蓋が開く」というのは本来はお盆のことのはずだ。地獄で釜ゆでにされている罪人達も、お盆の間は釜の蓋が開いて、自分たちの子孫のところに帰って骨休めをすることができる。それが本来の意味である。

 

ここからは余談。

 

スーパーや直売場では「地獄の釜の蓋まんじゅう」というのがあちこちで売られていた。実家でも買っていた。ご先祖様が地獄から帰ってくることをまんじゅうを食べてもてなすのだ。

 

だから「地獄の釜の蓋が開いた」というのはひとときのバカンスだ

 

……そんな風に思っていたのだが、「地獄の釜の蓋まんじゅう」というのは栃木県の北部である僕の実家周辺のかなり狭い地域に限られた風習らしい。

 

栃木県の北部(特に那須地方にかぎられた風習)で8月1日に炭酸まんじゅうを食べる風習があります。

 8月1日を「釜蓋朔日」と呼んでおり、「地獄の釜の蓋が開く日」とされています。(この場合の「地獄」は「あの世」という意味です)

 地獄からの道のりは遠く、ご先祖様がお盆に間に合うためには、8月1日にでなければなりません。ご先祖様が釜の蓋から飛び出し、そこから13日間かけて帰って来ます。

 ご先祖様を迎える為、8月1日に釜の蓋が開くことを喜び、炭酸まんじゅうを作り、笹の葉を敷いてお供えし、その後みんなで食べる風習、これが釜の蓋まんじゅうの言い伝えです。

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「釜の蓋まんじゅう | 栃木県レポート | お菓子何でも情報館」より引用

 

みんな、地獄の釜の蓋のまんじゅうを食べないのか……。

 

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「地獄の釜の蓋が開いた」という表現の受け取り方はおもしろい。「これから恐ろしいことが始まる」という意味だと、現世の人目線になる。「ひとときのバカンス」という意味だと、死んだ人の目線になる。

 

そう考えると、たしかに前者の方が自然かもしれない……。

気分転換に山下公園と中華街

気分転換に少し遠出して海も見に行こう、と思って横浜の山下公園に。1.5時間くらいかけて行って、ひとしきり公園でぼんやりする。おだやかな天気で良かった。

 

食事に中華街のテキトーな店でスーラータンメンを注文する。これがびっくりするほどまずい。山下公園にあるコンビニでカップラーメンでも買って食べた方が気持ちよかったな。

 

だけど、まずい物を食べたらなんだか脳髄に緊張感が走り、シャキっとした。気分転換としては成功。

さして親しくない人たちと世間話をしながら昼飯を食べた

初めての人たちと、丸一日かかる仕事をした。お昼に仕事の人たちが弁当をとってくれて(豪華なものだった)、みんなで雑談をしながら食べた。

 

話題は

オリンピック

私の新婚生活

海外旅行に行くならどこか

みたいな感じ。

 

共通点のない人とでもできる、一番どうでもいい浅い話。でも、かなり興奮してしまった。

 

僕は普段の仕事の形態から、そんなに親しくない仕事の人たちと昼飯を食べながらどうでもいい雑談をするということがほとんどない

 

5年前、訪問の仕事をしていた頃にそういうことが何回かあったかな? くらいの感じ。

 

昼飯の雑談は、なんというか、これぞ「ナマの世間」というかんじがする。とても新鮮。たのしかったし、うれしかった。

 

会社員をしていた頃は、こういう時間が嫌いだった。でも、好みなんて環境によってどうにでもかわるのだ。

仕事の後のビールがうまいのが困る

つらい仕事をした後のビールほどうまい。ビールってそういうもんだよね。でも、このことがが最近悩ましく感じる。

 

逆を言えば、「一日中たのしかった日のビールはそんなにおいしくない」ということなのだ。例えば、旅行の夜のビール、正月で昼から飲むビール。全然おいしくない。

 

この「つらい後のビールのおいしさ」を考慮すると、ビールの銘柄の違いなんてほんの些細なことになってしまう。旅行先でちょっとお高いクラフトビールを買ってもおいしく感じないのだから、全然面白くない。

 

さらに最近は「つらい仕事をした以上、ビールを飲まないと損だ」という思考回路も形成されてしまっている。

 

仕事の後のビールくらい飲めばいいじゃないか、と思うかもしれない。でも、ある程度夜遅くまで仕事してしまった時は、ビールなんか飲まないでさっさと寝てしまった方がいいだろう。

 

いったいおれは何を飲んでいるんだろうという気にもなる。ビールじゃなくて、感情?

ゲスの極み乙女。のファンになってしまった気がする

Google Play Musicでゲスの極み乙女。ばかり聴いている。

 

このバンドは基本的に「器の小さい人間が世の中のことにイライラしている様子」ばかりを歌っていると思う。それが最近の自分の気持ちにすごくフィットする。聴いていて「わかるわ~~~~~それそれわかる~~~~~~~~」となってしまうのだ。

 

そんな話を妻にしたら「それはファンだね」と言われてしまった。

 

ファンか~~~。イヤだな。だいたいバンド名が最悪じゃないですか。あとアルバムのワートワークもものすごくダサい。

 こんなダサいの、思いつきますか……?

 

でもこういう風に、大衆の目に付く部分にあえてしょうもないものを持ってくる気分もわかるのだ。部分的に丁寧に捨て鉢になることで、本質の部分でより自由になれる。そういうの、あるよね……。

 

……ああ、また「わかるわ~~~~」になってしまった。

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