ふしぎブログ

指圧師・ライター斎藤充博の日記

感情が入っていない文章は読みにくい

「文章を書くときには感情をこめて書きましょう」とかそういう話ではなくて、もっとそれ以前の話として。

たとえば統計データ、学術論文、数式なんかは著者の感情を排して書かれている。こういうのは読みこむの大変。

逆に感情がこもっているのは小説とか、ブログとか。世の中の文章の中でも読みやすいものだろう。Togetterで、だれかとだれかがけんかしているやつなんかは、感情以外に何もなくて、読んでも何もいいことないんだけれども、それでも読んじゃう。

企業の有価証券報告書なんかは微妙だ。感情を排して書かれるような形式になっているんだろうけれども、水面下で感情がギラギラしているのがちょいちょいある。ああいう書類を読むのって基本的には退屈だけれども、いい感じのギラギラが出てきたときの迫力は逆にすごい。

新聞記事は事実を淡々とかいているっぽいけれども、かなり感情のパーセンテージ高い。

感情がこもっているときのメールのリーダビリティもすごい。クレームや叱責のメールって、見た瞬間、スキャンするように文章全部一瞬で読めてしまう。目も覚めるし、読んでいる途中の時間の感覚もちょっとおかしくなる。感情が受信者である自分に向けられていると、こういうこともおこる。

なんだろう。本能的に、人間は他の人間の感情に対して敏感なのかな。

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