ふしぎブログ

指圧師・ライター斎藤充博の日記

食事と認識

人間の感覚について考えることがよくある。僕たちが五感を通して感じる感覚は、本当に外界の刺激を認識しているのだろうか。頭の中で作り上げた幻想じゃないのか。

 

恐らくそれらはちょうど半々くらいで、ぐちゃぐちゃに混じり合って、互いに影響を与え合っているだろうと思う。

 

そんなことを考えていたら、ちょうどいいネタ2件降ってきたので記事にしました。

 

r.gnavi.co.jp

 

そばを食べたことがない大人にそばを食べてもらう記事。そばが好きな人は「香り」を感じながら食べている。しかし初めてそばを食べる橋本さんは全くそれらを感じなかったようだ。

 

そばの香りは、とても微細な物。あらかじめ「こういうのが来るぞ」と学習していないと認識できないんだろう。学習前の感想を正直に教えてもらえたのは本当によかった。

 

nlab.itmedia.co.jp

 

嫌いな食べ物が多くて、さらに嫌いな理由を一つ一つ言語化してくれた人の記事。「嫌いな理由」が知識に左右されていなくて、かなり感覚よりなのがおもしろい。たとえば一般に食べ物である卯の花に「食べ物?」って疑問符をつけたり。炭酸水の刺激に対して「痛い」って言ったり。おでんを「くさい」って言い切ったり。

 

この理由自体が顰蹙を買いそうである。しかし、嫌いな食べ物を「嫌いな理由」はあくまでも個人的な物のはず。つまりBさんが正常で、周囲の反応まで考えている方がおかしいのだ。ひょっとしたら、ふだん僕たちは食べ物を食べるときに、かなり周りに忖度しながら食べているのかもしれない。

 

こういうことを考え続けていると、自分はどこまで自分なのかわからなくなってくる。人々のなんとなくの総意や、マナーみたいな物が、常に自分の中に入り込んでいて、取り外しができないのだ。

 

それは当たり前のことなのかもしれないけれども、そう認識しておくことは大事なんじゃないのだろうか。

 

この2つの記事を書きながらそんなことを思ったのでした。

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