餃子の羽
「羽根付き餃子」というものがある。
「餃子の羽根」はべつにうまい物じゃない。どちらかというと餃子を食べるためには邪魔だと思う。そもそも、羽根は餃子についた打ち粉が、水に溶けて焼き上がった物だ。餃子を焼く課程でできあがってしまう不純物である。
要らない物にもかかわらず餃子屋では「羽根付き餃子」というメニューを出しているし、クックパッドでは「羽根付き餃子の作りかた」なんてレシピがある。みんな羽根をありがたがっている。よく考えるとおかしい。
そんな風に餃子の羽根に対しては否定的な気持ちがあったのだが、この間蒲田で羽根付きの餃子を食べてみて考えが変わった。あきらかに羽根があった方が、ありがたい気分になる。
この羽根がどうしてこんなにもありがたいのか、わからない。理由もなくただただ羽根がうれしいのだ。
そこでちょっと思ったんだけど、自分が作っているレポート記事も同じような物かもしれない。
ふつうに考えたらデータと事実だけで淡々と書いた方が読みやすいし、時間もかからない。ぼくが物を食べて「うまい!」とうれしそうにしている写真は、本来掲載する必要のないものだ。
でも、そういうのがあったほうがみんな読む。そういう不純物というか、余計な物みたいなのがみんなけっこう好きなのだ。
いろいろ考えたのだけど、トータル的によい中華屋さん。