オウンドメディアはシャチホコかなんかなのだと思う
ライター仕事の中心になっているのは今はやりの「オウンドメディア」。ニフティの「デイリーポータルZ」や、ぐるなびの「みんなのごはん」なんかが代表だ。
オウンドメディアの仕事を人に説明すると、こんな質問をされる。
「なんでそんな儲からないことで原稿料が貰えるの? 雑誌みたいにだれかがお金を出すわけじゃないよね?」
たしかに、なんでこんなことやっているんだろう、企業は……。と今までずっと何年間も思っていたけど、最近だんだんわかってきたような気がする。
オウンドメディアというのは名古屋城にあるシャチホコみたいなものだと思えばいい。
シャチホコは何かの役に立つわけじゃない。みんなが人が見て「あんなもの作るなんてすごいなあ」とかんたんに納得できる。企業や商品に価値を持たせるブランディング、みたいな作戦とはまたちょっと違って、まろやかな示威行為みたいな感じだろう。大衆をなんとなくビビらすのだ。
シャチホコはもうける必要もない。シャチホコに変な広告が貼ってあったら「ああ、広告なんだな」ということになって「すごい」の方に意識が行かなくなってしまう。
(でも今は広告がたくさんついている方が「すごい」と思われやすいという、ちょっとヘンな倒錯した現状がある)
だからオウンドメディアは「すごい」ものを作った方が絶対にいい。
予算をかけられないのか、内容ゼロの「THE・無」みたいな物をたくさん更新しているところもよく見るけれども、それはシャチホコにはならない。田舎のおっちゃんが作っているセメント像だろう、それは。
予算やコストがかけられないということだったら、シャチホコを作るなんて考えない方がいい。「すごくない」というのがたくさんの人の目に触れても、単純にマイナスなんじゃないかと思う。