僕らはいつを生きているのか
僕たちは過去の経験を思い出しながら現在の出来事を評価して生きている。
誰でも当たり前にやっていることだけれども、これが極端になるのが「トラウマ」だろう。生きているのは今なのに、まるで過去の特定の経験の中に生きているような状態だ。
その一方で僕たちは未来のことを考えながら現在を過ごしていることもある。
例えば、目標に対する努力。現在は使わない貯金。保険金の支払い。などなど。こうしたことを行うときに、頭の中は未来に行ってしまっている。未来をよくするために奉仕している様は、まるで未来の奴隷のようだとも思う。
こういうことを考えると、人間はなかなか幸せにはなれないのだろうなあ、ということに気づく。
『彼方のアストラ』がおもしろい
『彼方のアストラ』がものすごくおもしろい、という話を聞いて読んでみた。
すごい。
ヤバい。
めちゃくちゃおもしろい。
5巻で完結するのだけれども、途中でやめられずに一気に読んでしまった。
『彼方のアストラ』は未来が舞台になっているSFマンガ。主人公達は学校のキャンプ行事で惑星に行く。そこで謎のトラブルに見舞われてしまって、宇宙を旅することになる。
すごいのは一分の隙もない構成。
「なぜこんなトラブルに遭ったのか」
「トラブルの犯人は誰か」
ミステリー要素もあるので、あんまり詳しくは言えないのだけれども、だいたいこんな大きな謎があって、それが解決される。密閉された宇宙船内で犯人捜しをしている様子は『11人いる!』みたい。
そこに宇宙旅行で色々な惑星に行くおもしろさも加わってくる。動物と植物の区別がつかない星とか。これは『火の鳥望郷編』を思い出させる。鉱物が生きている星とかあったよね。
でも全体的なトーンは軽くて明るくて、子どもだけで宇宙を旅するという絶望的な設定にぜんぜん負けていない。ここが一番すごいところかも。
『彼方のアストラ』は、たぶん後世にまで伝えられる『ちょうおもしろマンガ』の定番になっていくんじゃないだろうか……。こりゃ本当に読んでよかった……。
忠臣蔵を知らないの?
Kindle限定のオール・ユー・ニード・イズ・吉良という中編小説を読んだ。もうこれはすごくおもしろくて、一日で一気に読んでしまった。
吉良というのは忠臣蔵に出てくる吉良である。この小説の中の吉良は、殺されてしまうと討ち入りの日の朝に巻き戻って戻ってしまう。
何度も何度も時間遡行を重ねて、吉良は赤穂浪士から殺されないようにできるか? という内容だ。
もちろん、この設定はハリウッド映画にもなったラノベ『オール・ニード・イズ・キル』のパロディである。
おもしろくて妻に勧めたのだけれども、妻は「忠臣蔵を知らない」という。忠臣蔵を知らなかったらこの小説のおもしろさは半分くらいになってしまいそう。
「なんだ、忠臣蔵を知らないの?」と言ったら「なぜみんなが忠臣蔵を知っている前提なの?」と聞き返された。
そう言われるとそうだ。僕が子どもの頃は年末になると、風物詩のようにやっていたものだけれどもね。「昔は流行っていたから」としか言いようがない。
話がそれたけれども、忠臣蔵を知っている人ならおもしろいので読んでみてください。『オール・ニード・イズ・キル』は知っている必要はないです。
山谷酒場に行った
友達数人と山谷酒場に行った。
ここは山谷でクラウドファウンディングを成功させたことで話題になっている居酒屋。メニューがなかなか変わっていておもしろい。
たとえば、ニンジンをスモークしたもの。ニンジンがサツマイモのように甘い。
タケノコキムチ。キムチ漬けになったタケノコの柔らかい部分がまるっとそのまま出てきて、ナイフとフォークで切り分けて食べる。
ウニ焼きそば。塩焼きそばにウニの塩辛が入っている。
アイスクリーム。漢方薬のような、非常に複雑な味がする。
全体的に異国っぽい料理なのだが、どこの国の料理? と聞かれるとわからない。説明するのが非常に苦しい感じがする。
飲み会は異常に盛り上がった。ここ2、3年で一番の盛り上がりだった……。
主線なしのリンゴ
『”主線なし”イラストの描き方』という本を買った。主線がないイラストというのは、いらすとやみたいなやつのことだ。
最初に「主線なしのりんご」の描き方が載っていたので、解説に忠実に作業をしてみた。
リンゴ一個を描くといっても、かなりの作業が必要で、3時間くらいかかった。できたのがこれ。
なんか………………という感じである。シュンとしてしまった。
ただ、作業の過程で「色調補正レイヤー」の使い方がわかってきたので、今後のイラストに応用できるかもしれない。
ところで「主線なし」のイラストは「光」と「影」を強調する世界だ。僕は自分のイラストの中で影をほとんど付けていない。いままで自分の世界に光源とか、立体感とか、そういう物を想定していなかった。ただ単に記号が蠢いているだけの世界。
イラストは作者の視点そのものである。僕は日常でもあまり立体的に物を見ていないかもしれない。