死ぬほどヒマだった日々
3月の最終週と4月の第一週が死ぬほどヒマだった。なぜこんなにヒマなのか、全くわからない。仕事はあるんだけれども、調整のためのメールを打つと終わる。だいたい午前中で仕事が終わっていた。
あまりにもヒマだったので、4コマまんがを描いてツイッターに出して遊んでいた。けっこうバズった。
さらにジムに行って筋トレをがんばった。そしたらぐったりと疲れてしまって、あまり色々な活動ができなくなってしまった。
家で疲れている僕を見て妻は「きっと仕事が忙しいんだろう」と思ったことだろう。でもその疲れた身体にはモリモリに筋肉が蓄えられていたのである。
筋トレってなんだろうなー。バカみたいだ。やるけど。
今週から普通に取材や制作の仕事が始まってきている。輝かしいヒマな日は終了した。
令和が発表された日のこと
新元号は何になるんだろう。
普段は全然元号のことなんて気にしていなくて、むしろ元号なんてなくなれって思っていた。しかしここ2~3日は元号のことばかりが気がかりになり、いてもたってもいられなくなってしまった。
新元号が発表される日の当日。僕はジムに行った。ジムにはテレビがある。ソワソワしすぎて、一人で元号発表の速報を見るのがイヤだったのだ。
10時頃のジムはいつも通りの風景。しかし元号発表の11時半が近づくと、テレビの前に人がわらわらと何十人も集まってきた。もはやジムがジムとして機能していない。
そりゃ元号だもんな……。そうでなくちゃ……。
そう思っていたのだが、ジムの奥の方にあるフリーウェイトコーナーには、元号の発表など意にも介さずひたすらに筋肉を鍛えている猛者も確実に存在していた。
元号よりも筋肉である。マッチョはすごいな……。
テレビに官房長官が映ると、テレビを見ている人達から「ワーッ」という嬌声がのぼっていた。マイケルジャクソンの伝説のライブを彷彿とさせる(動かなかったやつ)。誰か失神するものすら出てきそうだ。僕の緊張もマックスだ。
そして掲げられる「令和」。
ジムのテレビの前に集まった人達の雰囲気は「はあ?」という感じ。
実際にこんな声が聞き取れた。
「なんだそれ」
「わかっちゃったらなんてことないわね」
「なんかなあ」
みんなしらけていたのである。
そしてみんなものすごい早さで、各自のトレーニングに戻っていった。あの熱気の高まりがまるで嘘だったみたいだ。
でも僕は「令和」という元号がかなりイケているように感じられて、興奮がとまらなかった。
R音から始まるのがかっこいい。スタイリッシュな見た目もいい。特に画数が少ないのがイケている。由来になっている万葉集の歌もなかなかよかった。
ツイッターを見ても「いい」と言っている人が多かったように思う(このへんツイッター世論と、リアルな世論の開きの一つかもしれない)。
僕はなにか特別なことがしたいと思い、イトーヨーカドーに向かって、ちょっといいパック寿司を買った。900円くらい。それを家で一人で食べた。令和決定のお祝いである。
令和は絶対にいい年にしような。
住所
妻が岡村靖幸の「住所」という曲が好きだという。
「どんな曲だと思う?」と聞かれたので「君と僕の住所を一緒にしようっていう内容のラブソングなんじゃないの」って答えたら、そのものズバリ。大正解だった。
spotifyで住所を聴いてみた。歌詞の中の「俺 in the house」という部分が気に入った。なぜなら、おれはだいたい家にいるから。
「寝てみる夢みたい」
BL本2の完成打ち上げを今さらやった。みんなの都合でずっと延び延びになっていたのだ。
打ち上げの飲み会は田端のとある居酒屋(店名は公開しない)。民家の一室を居酒屋として営業できるように改装してある。ものすごく安い値段で次から次へと超うまい料理が出てくる。まるで「親戚の家」でもてなしを受けているようだ。
テレビではフィギュアスケートの大会が行われていた。みんなで酒を飲みながら羽生結弦の演技にうっとりしていた。羽生結弦の顔はすごい。
お客さんの中にひとりプロバイオリニストがいて、バイオリンを持っていたので、お客さんみんなでお金を出して1曲弾いてもらった。ギターを持っている人もいて、バイオリンに加わっていた。
だれかが「これ寝てみる夢みたいだね」って言って、その場にいたみんながうなずいた。
斎藤BL2打ち上げでした。これは親戚の家(みたいなお店)でスケートを見ている斎藤さんの写真 pic.twitter.com/zQNBwy1D7s
— 米田梅子(こめだうめこ) (@umeruko) 2019年3月23日
斎藤BL本の打ち上げが執り行われたのですがお客さんの誕生日を祝ったりフィギュアを見たりと大変アットホームだった pic.twitter.com/KIfiXTkMxf
— くみこ (@Kumikooo_0935) 2019年3月23日
参加者の証言。
在庫まだまだあるので買ってくれ。
『ヒルビリー・エレジー』がほぼ西原理恵子の世界だ
タイトルでいいたいとことはほとんど全て言ってしまった。
『ヒルビリー・エレジー』とは、アメリカの田舎に住んでいる白人の貧困層の生活ぶりを書いたエッセイである。
「ヒルビリー」とは「山の人」を意味する言葉。でも実際は「田舎者」みたいなニュアンスで使われる言葉なんだそうだ。この本は田舎から抜け出して高等教育を受けた人が一人称で語る、ヒルビリーの実態だ。
僕はアメリカなんて自由でみんなカラッとしているもんだと思っていたけれども、そんなことはない。異常なまでに身内に執着する。よそ者を排除する。働かない。貧困に陥る。すぐに結婚して離婚する。子どもは暴力におびえながら強く生きている。
これ、まるっきり西原理恵子のマンガの世界だ。『ぼくんち』とか『ゆんぼくん』とか、初期の高知の田舎の生活を叙情的に描いたやつ。あれに雰囲気がそっくりである。
田舎の生活なんて、どこもそんなに変わらないのかもしれない。ちょっと絶望的な気分になる。違うのは、銃が出てくるところくらいだろう。アメリカなので。