セブンイレブンの豆大福がうまい
セブンのスイーツがうますぎ地獄とか言っていたんだけれども、
もうその境地は通り過ぎて、涅槃の領域に入ってきた。
決まったのだ。食べるべきスイーツが。
タイトルでもうわかっていると思うけど豆大福である。
これがうまい。
豆大福のうまさなんて文章で言いようがないんだけれども、ちょっとあんこが多めのやつで、しかもその多めのあんこがだいぶうまくて、すごくいい。
しかもね、これ、セブンイレブンのアイスコーヒーにもあうんですよ……(小声で)。ポケットの小銭で充実しまくりの午後のブレイクタイム……。
やっばい。やばい。
値段は1個130円だけど、200円くらいとられても文句言えねぇなあ~~~という感じ。週に1個か2個食べしまう。でもしょうがないんだよな、食べれば食べるほどトクするんだから……。
恋愛相談に意味はあるのか
結婚してから、治療院のお客さんに恋愛相談を受けるようになった。
といっても、「この人なら的確なアドバイスをしてくれるに違いない」というよりも「ふーん。この人にもそういう感情があったのか。それならこういう話も通じるかしらね?」という感じ。期待しないのは多分正解だと思う。
ただ、何人かの話を聞いていて、ふと思ったことがある。「とにかくどんどん前に進めればいいんじゃないの?」ということだ。
つまり
デートに誘ってもいいか悩んでいる人は、誘うしかないし
告白してもいいか悩んでいる人は、告白するしかないし
ふられた人は、次の人を探すしかない
これを繰り返せばいい。というか、それしかないと思う。でも、本当にアドバイス通りに、そんなことが次から次へとできるとしたら、それは恋じゃないような気がする。なんだろう。恋よりも「営業」って感じがする。
もっとも、あんまりハッキリ言うのもアレだから、そこは言い方を変えながら、その人の気持ちによりそう感じ言葉を探っていくわけだ。ぐちゃぐちゃと。
なにかこう、話を聞かせる、なんか言い合う、反感を覚える、納得をする、モヤモヤする、みたいな一連の流れ、時間の費やし方って、たぶん意味がある。効率は悪いんだけど。人間だから、そういうことが必要になる。
たぶん、恋愛に限らず、全ての相談がそんな気がする。相談とはぐちゃぐちゃと時間を費やすこと。
歌会に初めて出てみた
全くの初心者でもOKということで、歌会に参加してみた。
歌会というのは短歌を作って寸評しあう会である。短歌には前から興味があって、ときどき(主に心が弱っているときなど)歌集を買うこともある。
場所はゴールデン街のバー「月に吠える」。司会は歌人の伊波真人さん。参加者は10人ほど。
参加の申し込みをした時点であらかじめ2首短歌を作って送るように言われている。一つはテーマが「水」、もう一つは自由。ぼくの考えた短歌は以下のようなものだ。
テーマ「水」
室外機水が出る管あるだろう飲んでも平気量はチョロチョロ
「水」というテーマだと、きれいな歌が集まるだろうと思って、思いっきり汚い水を表現してみようと思った。あたりまえだけど飲んでも平気じゃないです。
伊波さんからは「歌でチョロチョロという言葉を使っているのは初めて見た」と言ってもらえた。これはほめられているのだと思う。
自由題
手品師が炎を見つめてつぶやいたあんな手品はやらなきゃよかった…
かなり悩んだ末に、この間のデイリーポータルZの記事「手品師に集団で論破されたい」から作ってしまった。ズルいですね。
これは末尾の「…」が不要という声が上がった。
会の終わりには賞の発表。僕はユーモア賞をいただいた。おれの歌、ユーモアだったのか。
歌を作るのもおもしろかったが、寸評しあうというのがさらに興味深い。もう少しいろいろ考えてみたい。
食洗機のある生活と美味しんぼ
うちには食洗機がある。このせいで、キッチンの調理スペースがものすごく狭い。ちいさいプラスチックのまな板を一枚おいたら、それで終わり。
それでもやっぱり買ってよかった。何がいいって、食事の時に取り皿を2枚でも3枚でもいくらでも平気で使えるようになるのだ。後で手洗いすると思ったら(あるいは誰かに手洗いさせると思ったら)ちょっと躊躇してしまうだろう。
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さて、取り皿で思い浮かぶのが、美味しんぼの初期エピソードである。
中華街の人気店に行った文化部一行だが、(こいつら本当に仲良いよな)食事の時に取り皿を1枚しか出してもらえない。そこで山岡が「ゴマソースの物もチリソースの物も同じ皿でとれって言うのかっ!!」と怒る。
取り皿を出し惜しみする中華料理屋にきっと食洗機はないのだろう。
この間、アマゾンプライムでこのエピソードを観ながら(美味しんぼが大量に観られるのだ)、ビールを飲んでいた。
もちろんうちのテーブルの上には取り皿がズラリ。最高の気分だ。
ただし、調理スペースが狭い関係でそんな大した物を食べているわけじゃないけど……。
シン・ゴジラを嫌う
ちょっと古い話になるけれども『シン・ゴジラ』はおもしろかった。会議のシーンも、電車のシーンも、ぐっと自分たちのこととして、リアルに迫ってくる感じ。興業としても大ヒットしていた。
ところが、あの映画をおもしろくもなんともないと言っていた人がいる。父だ。ふだん映画なんて観ないが、評判がいいので行ったらしい。
ぼくはなるほどな、と思った。というのも、父の仕事(この間退職した)とシン・ゴジラの世界が近すぎるのだ。父は通信インフラ関係の仕事をしていた。台風や災害がくれば、対応に追われる。
父は「ゴジラ、会議ばっかりしていて、なんにもおもしろくねえな」と言っていた。インフラの会社は固いので、あんな風に不快な会議も多いだろう。嫌な思い出をなにも映画で追体験しなくても……という気持ちだったのではないかと思う。全部想像だけど。
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それでは指圧師である自分はどうなのか。アマゾンプライムで『マッサージ探偵ジョー』というドラマが上がっていたので観てみた。
主人公はマッサージ師。訪問マッサージ先で殺人事件が起こり、主人公も容疑者として疑われることになる。ところが主人公は関係者をマッサージすることにより、筋肉の様子や経絡の様子などを把握。真犯人を推理する。
第一話だけ観てみたんだけど、これは……やっぱり、ぼくにはダメだー! ごめんなさい。
というわけで、仕事と近いとおもしろいフィクションもダメかもしれない、という話でした。